北方領土には誰が住んでいたの?「歴史」

地図にも書かれている日本の名前

それでは北方領土の歴史を振り返ってみましょう。

日本が北方の島々のことを知ったのは、17世紀のはじめ頃のことです。これは松前藩の「新羅(しんら)の記録」で明らかになっています。

現存する地図のうち北方領土が表されたもっとも古いものでは、1644年(正保(しょうほ)元年)に幕府が作成した「正保御国絵図(しょうほおくにえず)」があります。この中にすでに「くなしり」「えとろほ」などの島々の名前が書かれています。

択捉島に建てられた日本の領土の標柱

18世紀後半になると、国後島、択捉島を中心に、最上徳内(もがみとくない)、高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ)、近藤重蔵(こんどうじゅうぞう)のような勇敢な日本人が活躍しました。
幕府は1785年(天明(てんめい)5年)から、最上徳内を国後島と択捉島に派遣し、現地の様子をくわしく調べさせるとともに、また、1798年(寛政(かんせい)10年)には、大規模な調査隊を派遣し、このとき近藤重蔵が最上徳内とともに択捉島に渡り、「大日本恵登呂府(だいにっぽんえとろふ)」と書いた標柱を建てました。さらに1799年(寛政11年)には高田屋嘉兵衛が、苦心の末、国後、択捉島間に航路を開きました。
このように北方領土は古来からの日本の領土なのです。

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