ソ連の占拠

1.日ソ中立条約の破棄

1941年(昭和16年)、日本はアメリカやイギリスを相手に戦争を始めました。緒戦こそ日本優勢で戦いが進められましたが、しだいに日本の敗戦の色が濃くなってきました。
1945年(昭和20年)4月5日、ソ連のモロトフ外相は、佐藤駐ソ大使に対し、1941年(昭和16年)4月25日に日ソ両国で批准した「日ソ中立条約」の不延長を通告してきました。

そして、同年8月8日にモロトフ外相は、クレムリンに佐藤駐ソ大使を呼び、8月9日から日本と戦争状態になることを通告し、宣戦布告しました。
佐藤駐ソ大使は、宣戦布告を直ちに東京に打電しましたが、この公電は日本に到着していませんでした。そのため、日本政府はソ連の宣戦布告をすぐに知ることができませんでした。

侵攻開始

2.ソ連軍の満州・樺太侵攻

宣戦布告がまだ日本政府に達していない8月9日未明、ワシレフスキー将軍の率いる160万のソ連極東軍は、ソ連と満州の国境、モンゴル、ウラジオストク、ハバロフスクの3方面から総攻撃を開始しました。これは、「日ソ中立条約」の有効期限内(1946年4月25日失効)のことでした。

また、樺太では、バーツロフ大将の指揮する約35,000人が、8月11日に北緯50度の国境を越えて侵入したため、約20,000人の日本軍と戦闘になりました。
8月14日、日本は「ポツダム宣言」を受諾して無条件降伏しました。

占守島上陸

3.ソ連軍の千島侵攻

8月16日にグネチコ将軍の指揮するソ連軍がカムチャツカ方面から行動を開始し、8月18日には占守(しゅむしゅ)島に上陸、約25,000人の日本守備隊と交戦しました。しかし、日本軍は北部方面軍司令部の命令により交戦を中止し、8月23日に日ソ両軍現地停戦協定を締結し、武器をソ連軍に引き渡しました。

得撫島の占領を完了

 その後も、ソ連軍は千島列島各地に駐屯する日本兵を武装解除しながら南下を続け、8月31日までに得撫(うるっぷ)島の占領を完了しました。

北方四島を占領

4.ソ連軍の北方領土占領

また、ソ連軍は、8月28日に択捉島に上陸、9月1日には国後島、色丹島に達し、9月3日には歯舞群島にまでおよび、9月5日までにことごとく占領しました。
なお、9月2日には、東京湾上の戦艦「ミズーリ」甲板で、ソ連代表も参加して降伏文書の調印式が行われました。

翌1946年(昭和21年)2月2日、ソ連は「南サハリン州の設置に関するソ連邦最高会議幹部会令」を発し、北方四島を自国領に編入してしまいました。
島で生活をしていた人々の中には、北海道本島との連絡が途絶えてしまったため不安にかられ、危険をおかして脱出した人もいました。住み慣れた故郷を捨てきれず島に残った人々も、1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)にかけて、強制的に日本本土に引き揚げさせられました。