元島民 – 佐藤 良三 – が語る「北方領土」

択捉島出身

北方四島より強制送還されてから既に五十年になる。様々な生き方をして今日にいたった。
いずれにせよ現在に生きる我々は、先人の遺業や努力に深甚の敬意を表し、出来るだけこれを記録して後世に伝えたいと思うものの、これといった資料もなく残念でならない。

我々の父母は、第二の故郷として択捉島に移住し、営々と努力を重ね、資源を開拓して互いに前途にかぎりない希望をつないできた。
しかし、国家の命運を賭けた戦争の結果が悲しくも敗戦となり、遠く樺太を経由して島民全部が強制送還の憂き目にあった。

また、今なお、北方四島には数多くの先人が地下に埋葬されたままであることを思うと、誠に遺憾であり慟哭に堪えない。
私は、講和条約が結ばれたら択捉島も日本の国土に帰るのではないかとのはかなき希望をつなぎ、友人、知人の多い函館の街をあとにした。そして、故郷に最も近い根室に住んでやがて半世紀になんなんとしている。

さて、私の故郷の択捉島は、ほば中央部に北緯四十五度線が走っている。それを境にして島の風土が異なる。おおまかにいうと、北はカムチャツカ系の植物、南は北日本系の植物に分かれている。
北は白樺、ハンノキ、ハイマツがほば全体を覆い、南はエゾ松、トド松の森林があり、そこでは松茸が採れ、香りが非常によく商品として青森、函館に出荷したこともあった。また、南部の内保沼にはマリモが生息していた。
昔、先住者の話として、天気の予想にマリモを使ったとの話を聴いたことがある。容器に入れその浮き沈みによって、天気の判断に利用し、またその日の出漁の判断の参考にしたそうである。

ウルモンベツ沼には、東洋一を誇る紅さけの孵化場があった。間口十三メートル、奥行き四十五メートル、鉄筋コンクリートの堂々たる建造物であった。
あの川に遡上する紅さけの凄まじさはいまだに忘れられない。鮭たちは一週間ほどの限られた日数の中で、先を争って上流を目指す。先を争って必死に、幾重にも重なりあい、川の水は迫り上がり、見るものをして息のつまる壮絶な光景が展開され、その壮観さはたとえようもないみごとなものであった。

また、北限のマグロ漁についてはあまり知られていない。ウタスツ湾には毎年九月、十月にかけて回遊してくるマグロの大群がある。大定置綱で捕獲するのだが、最盛漁期には八十キロから百五十キロの大物が三百本ほど捕れた記録があった。
それで、その時期になると百トンくらいの冷蔵船が常時、二、三隻停泊し、主として青森、あるいは東京に輸送したものである。

ところで、我北方四島返還に関してだが、ここ四、五年の我国や世界情勢は、明るそうであったのだが、ロシア国内情勢の変化によりこのところ怪しくなってきた。根室を中心とした、漁業の安全操業問題もまだ解決していない。いずれにせよ、日本政府はいかなる外圧にも屈することなく、毅然たる態度をもって、一層力強い対ロ外交を進めてほしい。

近年、ビザなし渡航や、北方墓参などによる北方四島ロシア島民の日本人に対する友好的態度などの、好ましい状態もあることを考慮にいれた、より時代に即応した、キメ細かな外交に期待したい。
私達は決して不当な領土返還要求運動をしているのではない。不法に侵害された国家の主権を取り戻すための、正しい運動を続けるだけである。