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人々の生活
北方領土問題の歴史へ戻る
島の住民のほとんどは、小規模な漁業を営んでいました。これらの人々の多くは、はじめは漁業経営者に雇われてきたものですが、やがて独立し、郷里から家族を呼び寄せて住みつくようになりました。その頃の住宅は、ほとんど木造、柾屋根の平屋造りで小さなものでした。
また、島での生活では、学校や倉庫などを会場にした巡回映画や学芸会・運動会などが喜ばれました。ラジオやレコードなどは、娯楽としてだいじなものでした。年に一度のお祭りは、村じゅうをあげて、たいへんにぎやかに行なわれました。
生活に必要な物の大部分は、船で運ばれていましたから、暴風や流氷の時期には航海ができなくなり、たいへん困りました。それで食糧品などは、翌年の春までの分を秋のうちに買い入れておきました。新聞や郵便物などは、長い間とだえることがしばしばありました。
国後島や択捉島には、温泉が湧いているところもありましたが、交通が不便でしたから、近くの人々が利用するくらいのものでした。
いちばん困ったことは、急病人やけが人が出たときです。医者や病院などはきわめて少なく、設備も整っていませんでした。そのうえ、交通が不便なために、急病人の手当が間に合わないことも多くありました。重病人は、根室や函館に送られました。
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