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元島民が語る「北方領土」

この証言集は、元島民が北方領土に居住していた当時の生活や引揚げ時の様子、その後の生活など貴重な体験談を記録として残すことによって、多くの方々に北方領土問題を正しく理解していただくことを目的として、北方領土が法的根拠なく占拠されてから半世紀が経過した1995年(平成7年)に記録されたものをまとめたものです。

ソ連軍の侵攻

八月十五日終戦、それから間もなく、ソ連軍が進駐してくるという噂が部落内に広がりました。この時、私は十一才でした。
九月二日と記憶していますが、ちょうどお昼頃、ソ連の上陸用舟艇が砂浜めがけて入ってきました。子供だった私は、吃驚仰天しました。

佐々木 篤郎国後島出身

占領生活、脱出、樺太を
経由して引き揚げ

昭和二十年九月二日、その日は秋晴れのとても良い天気でした。
夫(竹次郎)と義父(宗四郎)は、何時ものように昆布漁の仕事をしておりました。
私は近くの井戸に水汲みに行き、天秤棒をかついで家に戻る途中でした。

河田 ハツ歯舞群島(多楽島)出身

引き揚げ後の生活

昭和二十二年九月、ソビエト貨物船に乗せられ、樺太の真岡収容所を経由して函館に上陸した蘂取村民二百五十三名は、択捉島を出発してから既に二ヶ月も経った秋であった。

岩田 宏一択捉島出身

返還運動

旧ソ連邦が北方四島の不法占領を続け十年が経った一九五五~六年(昭和三十~三十一年)、日ソ国交回復を目指す「日ソ交渉」は、終始、北方領土問題をめぐり難航し、その成り行きに一喜一憂しながらも必ずや「島は還る」との期待感にあふれた。

竹内 春男歯舞群島(春苅島)出身

  • 令和5年度北方領土に関する全国スピーチコンテスト作品募集