ページの先頭です

ここからグローバルメニューです

クリックでグローバルメニューをスキップ、グローバルメニュー終了地点へ移動します。

グローバルメニューが終了しました

現在のページは

3分でわかる北方領土問題

1 北方領土は、
北海道の北東に浮かぶ四島です

北海道北東の洋上に連なる島——歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島のことを、「北方領土」または「北方四島」といいます。根室半島の納沙布岬から最も近い島は、歯舞群島の一つである貝殻島で、3.7kmしか離れていません。北方四島は、戦後、ソ連に法的根拠なく占拠され、日本の領土にもかかわらず日本人が自由に行き来することができません。

北方領土

2 日本の最北端は、日本最大の島
択捉島にあります

日本の最北端は、択捉島の最北端にあたるカモイワッカ岬(北緯45度33分)です。択捉島は日本でいちばん大きな島でもあり、全長は204kmに達します。ちなみに、稚内市宗谷岬(北緯45度31分)は日本の最北端ではなく、北海道本島の最北端です。

宗谷岬の位置と、カモイワッカ岬の位置のイラスト

3 北方領土の面積は、
福岡県と同じくらいの広さです

北方領土の全島を合わせた面積は約5,000㎢で、福岡県や千葉県と同じくらいの広さがあります。国後島は沖縄本島より大きく、色丹島は隠岐島(島後)より大きい島です。

福岡県のイラスト
福岡県
4,987 km²
北方領土のイラスト
北方四島合計
約5,000 km²

4 北方領土は一度も
他の国の領土に
なったことはありません

1855年2月7日、日本とロシアは平和的、友好的に日露通好条約(下田条約)を結び、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認しました。それ以降も、北方領土は一度も外国の領土になったことがない、わが国固有の領土です。

日露通好条約

5 北方領土は、
日本人が苦労して開拓した島です

北方領土は、17世紀初めにはすでに日本とかかわりをもち、18世紀末からは江戸幕府の直轄地として、日本人の手によって開拓されました。日本人は漁場や航路を開き、木材を切り出し、鉱山や牧場、水産加工場などが営まれました。北方四島は、多くの日本人がここで生活し、受け継いできた島なのです。

択捉島蘂取村ウエンモイ地区の漁場での「網起し」

6 1945年、ソ連軍が侵攻し、そのまま
占領し続けています

1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効だった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に、北方四島すべてを占領しました。その後、現在まで、ロシアによる法的根拠のない占拠が続いています。

昭和20年(1945年)ソ連軍の北方領土侵攻

7 17,291人の島民が
故郷を追われました

当時四島に住んでいた17,291人の日本人は、約半数が自力で脱出し、残りの島民はソ連により強制的に退去させられ、サハリン(当時の樺太)の抑留を経て日本に送還され、故郷を追われました。現在四島に居住する日本人は一人もいません。

当時の人口イメージ

8 今もつづくロシアの占拠には
どんな法的根拠もありません

歴史上・国際法上のどの根拠をとってみても、北方領土に対するロシアの占拠に根拠がないことは明らかです。

  • 1
    北方領土は一度も外国の領土になったことはありません
    1855年日露通好条約で択捉島とウルップ島の間に国境線が引かれて以降、北方領土は一度も外国の領土になったことがない、わが国固有の領土です。戦争で奪ったわけでもなく、平和的なとり決めによってわが国領土であることが決められたのです。
  • 2
    ロシアの占拠は「領土不拡大の原則」に違反しています
    連合国は、第二次大戦の処理方針として「領土不拡大の原則」を宣言しており、ポツダム宣言にもこの原則は引き継がれています。したがってわが国固有の領土である北方領土の放棄を求められる筋合いはなく、またそのような法的効果を持つ国際的取決めも存在しません。
  • 3
    北方領土は、千島列島には含まれません
    サン・フランシスコ平和条約でわが国は、千島列島に対する領土権を放棄していますが、わが国固有の領土である北方領土はこの千島列島には含まれていません。このことについては、樺太千島交換条約の用語例があるばかりでなく、米国政府も公式に明らかにしています。(1956年9月7日付け対日覚書)

9 平和的な交渉や
相互理解を進めています

北方領土問題について、日本政府は「わが国固有の領土である北方領土問題を解決して平和条約を締結する」という一貫した基本方針の下、強い意思を持って外交交渉を粘り強く行っています。
また問題が解決されるまでの間、日ロ両国国民の相互理解を深めること等を目的に、北方墓参、四島交流、元島民やその家族による自由訪問、人道支援など、相互訪問と交流が行われています。

カフェノツ墓地(志発島)墓石を囲んで手を合わせる人々
北方墓参(歯舞群島)
日本人とロシア人が、一緒に茶道を体験している様子
日本文化体験

10 国民一人ひとりの力で
北方領土を取り戻しましょう

北方領土返還要求運動は、北方四島がソ連に占拠された直後から根室市で始まり、全国各地に広がりました。今では全国の都道府県に、北方領土の返還を要求する県民会議が設立され、活動を続けています。
北方領土返還実現のためには、世代を超えて国民一人ひとりがこの問題を理解し、関心を高め、力を合わせることが大切です。

手と手をつなぎ、協力の輪が北方領土を囲んでいるイラスト
  • 令和5年度北方領土に関する全国スピーチコンテスト作品募集