ページの先頭です

ここからグローバルメニューです

クリックでグローバルメニューをスキップ、グローバルメニュー終了地点へ移動します。

グローバルメニューが終了しました

(1)東京都と北方領土のかかわり

1) こんなに近い北方領土

北方領土の歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島のうち、北海道本島に一番近い歯舞諸島の貝殻島は、根室半島の納沙布岬からわずか3.7kmしか離れていません。この距離をJR線にあてはめて見ますと、東京ドームのある水道橋駅から国技館のある両国駅の間と、ほぼ同じ距離になります。荻窪駅から吉祥寺駅までも同じくらいです。
ずいぶん遠い感じの北方四島ですが、納沙布岬からはすぐ近くなのです。晴れた日には貝殻島、水晶岳、志発島をはじめとする歯舞諸島や国後島がよく見えます。

「ぼくは、北方領土視察旅行に参加して、納沙布岬とか、牧場とかを見ることができてよかったと思います。二日目の納沙布岬視察は、霧が発生していて、北方四島で一番近い島も、見えなかったのが残念でした。それでも納沙布の北方館のレーダーでソ連(現在のロ シア)の船が2隻いるのがわかりました。
また、青年会議所の資料などで、北方領土の今のようすがわかり勉強になりました。それに、日本の漁業の船がもっと沖に行けばいいのに、行けないから、かわいそうだと思いました。」

これは1986年(昭和61年)夏、日本青年会議所主催の北方領土視察旅行「希望の翼」に参加した尾林優君(中学1年生、田無市)の感想文です。また、同じ旅行に参加した堀内和哉君(高校1年生、豊島区)は次のように書いています。

「北海道と北方領土の一番近い地点である納沙布岬まで行き、北方館を見学したり現地集会に参加したりすることなどによって、あらためて、根室の人たちの北方領土返還の願いが強いことを知った。しかし、このことを我々は知るだけでなく、ここに来て感じたことを、それぞれの住んでいる地域に伝えて、根室の人たちのような熱い思いを、日本全土に伝え、明日にでも北方領土が返ってくるように願っている。そのためには、このような活動をどんどん活発にしていってほしいと思う。」

つまり、「もっと北方領土のことをよく知り、返還活動を活発にしていくべきだ」といっているのです。それでは、もう少し、北方領土と東京都を比較してみましょう。

2) 東京都の面積と比べてみると

北方領土の面積を東京と比べてみると次のようになります。歯舞群島で一番大きい志発島は58km2あります。練馬区(48km2)や江戸川区(50km2)より少し小さいくらいの島ですが、戦前は、この群島の中では一番多く人が住んでいたところです。歯舞群島は小さいように感じられますが、それでも全体では約95km2です。伊豆大島(91km2)より大きく、足立区(53km2)と江戸川区(50km2)を合わせた(103km2)ぐらいの広さです。山の手線の内側は約63km2(区部の10分の1)ですから、その2倍弱くらいといえましょう。

色丹島の面積は249km2。東京都の地図を見て下さい。奥多摩町(226km2)より大きく、千代田、新宿、港、中野、渋谷、杉並、目黒、世田谷、品川及び大田の各区を合わせた広さに匹敵する面積です。
国後島は1,489km2。東京都の区部(627km2)と市部(784km2)とを合わせた(1,411km2)より大きな島で、本州、北海道、九州、四国を除くと択捉島(3,167km2)についで日本第2の島です。ちなみに第3位は、沖縄本島(1,207km2)です。
択捉島は東京都全体(2,191km2)の約1.45倍もあります。四島全体では5,003km2で、東京都全体の約2.3倍もの大きさで、福岡県(4,986km2)よりもやや広く、愛知県(5,173km2)や千葉県(5,158km2)より少しせまいくらいです。

(2)東京都における北方領土返還要求運動

東京でも青少年・婦人団体、労働団体、市民・産業・職域・宗教団体などが集まって、1983年(昭和58年)1月、「北方領土の返還を求める都民会議」が発足しました。

(3) 北方領土返還要求運動都道府県民会議

1.名称
北方領土の返還を求める都民会議
2.設立年月日
昭和58年1月27日