ページの先頭です

ここからグローバルメニューです

クリックでグローバルメニューをスキップ、グローバルメニュー終了地点へ移動します。

グローバルメニューが終了しました

北方領土、すなわち歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島のいわゆる北方四島は、私たちの祖先が開拓し、築き上げた島々でこの山梨県と同じように、わが国の領土の一部です。

不幸にもこれら四島は、第2次世界大戦終了直後ソ連(現在のロシア)軍の進攻を受け、いまだに不当に占拠されています。この北方四島の返還は、日本国民の一致した要求であり、日本、ソ連両国間に真の平和と友好関係を確立するためにはどうしても実現させなければならない問題です。

山梨県から北方領土までは、およそ1,100kmの距離があります。また、四島は総面積が5,003km2もあり、山梨県の面積が4,465km2ですから、10%以上も広い地域です。
当時、この四島には約17,000人が、豊富な資源を利用し漁業や林業などで生活をしていました。山梨県は四方を山に囲まれ海に面していません。そのため北方領土とはあまり深いかかわりはありませんでした。しかし、山梨県より広い面積を持つ北方四島が、正当な根拠もなく他国に占拠されていることに対し、私たち県民も重大な関心を持つ必要があります。

山梨県明野町のヒマワリ畑の写真

(1)山梨県における北方領土返還要求運動

1) 県議会・市町村議会での取り組み

県民の意志を代表する山梨県議会では、1980年(昭和55年)12月22日に「北方領土問題等の解決促進について」の意見書の決議を行い、国へ陳情書を提出するなど、その意志を強く表明して来ました。また、県内51の市町村議会でも同じ趣旨の決議がされています。

2) 県民会議の設立

1981年(昭和56年)1月、閣議において、1855年(安政元年)日露通好条約が締結された日、2月7日を「北方領土の日」とすることを決定しました。同年9月には現職首相の北方領土視察が行われ、同時に、北方領土返還祈念シンボル像「四島のかけ橋」が除幕されるなど、北方領土返還要求運動は国民全体の運動として大きなうねりをみせました。

山梨県内では、それまでもいくつかの民間団体がそれぞれ独自に北方領土返還要求運動を進めてきましたが、このような動きの中から個々の民間団体の運動を広く結集し、県民総参加の運動にしようと新しい組織づくりがはじまりました。1982年(昭和57年)2月22日から9月27日まで数回にわたって準備会が開催され、10月9日に設立総会を終え、ここに北方領土返還要求運動山梨県民会議が発足しました。

(2) 北方領土返還要求運動都道府県民会議

1.名称
北方領土返還要求運動山梨県民会議
2.設立年月日
昭和57年10月日