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国後島の概要

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国後島の位置画像

国後島の島勢

位置

東経 145度24分~146度35分

北緯 43度39分~44度31分

面積

1,489.9㎢

人口、世帯等(終戦当時)

人口 7,364人
(留夜別村 2,500人、泊村 4,864人)

世帯 1,327世帯
(留夜別村 433世帯、泊村 894世帯)

略図

国後島略図

▲ クリックで拡大できます

概要

国後島は、南は根室半島と野付岬、南東は歯舞群島、北西は知床半島に大きく半円状に囲まれ、北東は国後水道を挟んで択捉島と対している。南西から北東の長さ122㎞、最広部30㎞、最狭部6㎞の細長い島である。東沸の海岸にキナシリという大岩があり、島の名はそれに由来するといわれる。

島を貫く千島火山脈は、ルルイ、爺々、摺鉢、エビカラウシ、羅臼の山々を抱え、爺々岳の標高1,772mを最高とする。南東岸は北西岸に比べて緩傾斜で地形がよく、河川も多い。
太平洋岸は概して浅海で曲折が多く、泊、古釜布、白糠泊、トカイセンなどに港湾施設があったが、東沸、乳呑路、礼文磯、植内、その他多くの自然港には特段の施設がなかった。一方、根室海峡側は単調で断崖が続き、わずかに古丹消、小田富、秩刈別、シベトロなどにとどまり、南端のケラムイ岬と北端のアトイヤ岬に灯台があった。
泊山付近は広い平原で、一部に泥炭地があり、ニキシロ湖付近は広大な泥炭湿原を形成する。地頸部には湖水が多く、交通をはばむ所も少なくない。

島の森林はほとんどがエゾマツ、トドマツなどの針葉樹林で、広葉樹は1割にも満たず、カンバ類、ナラ、ハンノキ、イタヤなどが部分的に混生する。爺々岳の裾野の大原生林は胸高直径一尺の見事なトドマツ、エゾマツが原始さながらの姿を見せ、はてもなく展開する様は壮観で、昼なお暗い美林は島か大陸かを疑わせる程である。

戦前は、南半部の泊、北半部の留夜別の2村に分かれていた。
泊を中心に、東海岸沿いの準地片道は泊からポントマリまでは辛うじて馬車が通ったが、その他の道は狭く、険しく、全島の道路延長は準地方道96㎞、村道258㎞、計354㎞だった。
海上交通は北海道庁の命令航路が主要港を連絡し、泊、根室間は3時間半を要した。
冬の交通具にはスキーを利用したが、海岸も砂地の狭い場所では引き潮を待って岩づたいに飛ぶこともあったため、ゴム靴が便利で、結局「ゴム靴姿のスキーヤー」となった。

常住1,420世帯のうち1,038世帯が漁業に従事し、サケ・マスの人工孵化事業場が5ヵ所あり、6,000万粒を収容できる施設を誇った。一方、農業はあまりふるわず、千島調査所では29,700haを農業用地とし、泊山東南部の1,250haに農業移民を計画していた。
畜産業は1936年(昭和14年)、455戸で2,864頭の馬を飼育していた。
商業は50数戸、工業は缶詰加工、食料、海苔、薬用海藻などのほか、製材業と宝沼・シベトロの冶金精錬工業が主な産業だった。

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