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北方領土の産業

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1.水産業

北方海域は、海流と北海道本島と隣接諸島との間に陸棚を形成しているので、豊富な水産資源に恵まれております。 水産資源の種類は、魚類ではまぐろ・さんま等の暖流系回遊魚、さけ・ます・にしん等の寒流系回遊魚、たら・すけとうだら・おひょう・かれい・あぶらこ等の寒流系底棲魚、甲殻類では毛がに・たらばがに・ずわいがに・はなさきがに・えび等、貝類ではほたて貝・ほっき貝、海藻類ではこんぶ・のり等多種にわたっています。

この地域の主要産業としては、さけ・ます定置網漁業、たら漁業、たらばがに漁業、コンブ採取業があげられます。 水揚高は、1939年(昭和14年)から1941年(昭和16年)までの3か年平均で約5,600万貫、当時の金額で約5,200万円で、北海道全域の23%を占めていました。これを島別にみれば、歯舞群島3,500万貫(大部分がこんぶ)、色丹島300万貫、国後島1,200万貫、択捉島600万貫です。

水産加工については、乾製品、塩製品、缶詰製品、油脂製品等があり、1937年(昭和12年)には、当時の金額で600万円強の生産高をあげていました。

総生産額(イメージ画像) 島別総生産額(イメージ画像) 水産物漁獲高(イメージ画像)

2.林業

林業は、水産業についで重要な産業でした。
歯舞群島には樹林というべきものはなく、色丹島は総面積の20%が白樺を主とする闊葉樹林でした。国後島は50%が原始林、10%が原野、40%が疎林で、択捉島は50%が原始林、5%が原野、20%が疎林、25%が無立木地又は山岳地帯のはい松林帯でした。

国後島では、とど松、えぞ松等の良質の針葉樹林が90%を占め、残りの10%が樺類及びなら等の闊葉樹の混生林となっていました。また択捉島は、南部がとど松、えぞ松の純林、中部が色丹松及び闊葉樹の混生林、北部が闊葉樹林となっていて、中北部の山岳地帯は、はい松林帯、山嶺線は無立木地でした。
年間伐採量は3島を通じ約50万石で、その大部分は原木のまま根室や函館に送られ、建築、漁船建造その他箱材に使用されたほか、一部は島での生活のため魚を入れる箱などの原料となりました。

3.農業・畜産業

農業は、漁業のかたわら自家用蔬菜、飼料用燕麦及び牧草の栽培が行われていた程度で、専業農家は皆無に近い状況でした。しかし、当時の道庁の試作結果によれば、大麦、小麦、そば、じゃがいも、蔬菜等のほか、とうもろこし、らい麦、牧草等の飼料作物は、いずれも適作物とされていますので、適切な管理を行えば、北海道本島並の農業経営は十分に可能とされています。 畜産については、四島を合わせて約53,000haの放牧地に約6,000頭の牛馬が放牧されていました。

4.鉱業

札幌通商産業局保管の鉱業原簿によれば、国後島及び択捉島に採掘鉱区が13、試掘鉱区が149、砂鉱区が7あり、登録鉱種は硫黄、金、銀、銅、硫化鉄、鉛、亜鉛、鉄、砂鉄、珪砂等でした。

北方領土の地下資源は、昭和初期、鉱業の発展に伴って未開発資源が重視され、1、2の企業の対象となるとともに、地質調査及び探鉱が漸次進展しましたが、鉱床の規模は大きなものが少なく、自然的条件にも左右され、また資本規模も小さかったので、開発はあまり進みませんでした。しかし、これは調査の不十分と労力、資材、船舶の不足によるもので、将来におけるこの地域の地下資源の開発は極めて重要であると見られています。