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(1)広島県移住民と北海道開拓

広島県は全国一の海外移民県として有名ですが、北海道にも多くの県民が移住しました。

1) 最初に北海道へ移住した人々

広島県からの北海道への初期の移住民は、十分な計画を立てず厳寒への備えもなく渡航したため、悲惨な目に会いました。冬でも麦やじゃがいもなどの作物が育つ瀬戸内の人々にとって、北海道の自然は予想以上にきびしいものでした。

広島県から最初にまとまって移住した土地は、根室県根室郡幌茂尻村(現在の根室市)です。1882年(明治15年)9月7日、広島県を出発した80戸余りの移住民は、途中、船中でコレラが発生したため、冬に向かう10月になって、ようやく根室に到着しました。しかし、北海道に行けば農業をはじめ、どのような仕事でも生活できると聞いて、渡ってきた人ばかりで、厳寒の冬を越せないほどの苦しい状況に陥りましたので、国に嘆願書を出しました。根室県がこうした人々を道路の改修工事に雇ったり、また米や金を貸し与えるなどの救済策をとって、移住民はかろうじて生活することができました。

彼らの入植した幌茂尻村は、根室市街から4km南西の根室湾に面する海浜の村でした。この村の背後の谷は現在も湿原で、とても農業のできる土地ではありませんでした。1884年(明治17年)から移住民は漁業にも従事し、1888年(明治21年)頃やっと生活が安定しました。
移住民のなかには、豊かな漁業資源を求めて北方領土に出稼ぎに行き、やがて定住した人がいたと考えられます。

2) 広島町を拓いた人々

現在、北海道には、「広島」という地名が残っています。それが北広島市です。この町名は、和田郁次郎を指導者とする広島県からの移住者によって開拓されたことに由来しています。安芸国沼田郡段原村(現在の広島市)に生まれた郁次郎は、北海道開拓の志を抱き、1882年(明治15年)、県内の仲間を募り、北海道にくわしい知人とともに、北海道南部の6か所の候補地を2か月かげて見て回りました。しかし、農業に適した土地は見つかりませんでした。

いったん帰郷した郁次郎は、移住を希望する仲間とともに準備を整え、谷川杢左衛門と細江一の2人を渡航取締人にしました。そして、1883年(明治16年)4月、雪解けを待って単身で北海道へ渡り、札幌で、札幌郡月寒村の木立がうっそうと茂っていた330haの原野を開拓することを請願し、政府から許可を受けました。
同年6月下旬、谷川杢左衛門ほか5名が到着し、6人で小屋を造るなど移住者の受け入れ準備をしました。翌1884年(明治17年)5月、細江一に率いられた18戸が、また9月には7戸が到着し、月寒村に計25戸が入植しました。

しかし、9月5日の大霜のため作物が実らず、杢左衛門は馬から落ちて死亡し、一は帰郷してしまいました。郁次郎たちはこの苦しいときを賃仕事によって切り抜けました。翌1885年(明治18年)、雪解けとともに、田畑合計約31haを開墾しました。その年、郁次郎たちは米を収穫することができ、ようやくここに定着していける自信を得ました。その後、他県からの移住民を受け入れ、1889年(明治22年)には64戸、195人の集落になりました。この開拓地の成功は、この年、北海道の地元新聞で大きく取り上げられるなど、北海道開拓の模範とされました。

やがて、人口も増え、商売にたずさわる者も現れ、広島県移住民が中心となって、1894年(明治27年)、月寒村から分離して広島村をつくりました。
この移住の成功が大きな足がかりとなり、以後多くの広島県人が北海道に移住しました。

北海道は東北地方、北陸地方を中心とする全国からの移住民によって開拓されました。北海道庁が開設された1886年(明治19年)から移民のピークが終わった1922年(大正11年)までに、広島県からも約8,500人が移住し、北海道の開拓に貢献しました。日本人が苦労して開拓した北海道の一部である北方領土が、今日でもロシアに不当に占拠されているのはたいへん残念なことです。

(2) 広島県における北方領土返還要求運動

北方領土返還要求運動広島県民会議は、我が国固有の領土である歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の返還促進について、県民意識の高揚を図ることを目的として、1982年(昭和57年)12月、全国で35番目に結成されました。

県民会議結成のきっかけは、1981年(昭和56年)1月の閣議了解による「北方領土の日」の設定に伴う全国的な返還要求運動の高まりでした。それまでは各種の団体が独自に運動をしていましたが、それぞれで行う活動には限界があるので、広く県内各界各層の団体を網羅した組織を結成しました。

広島県商工会議所連合会、日本青年会議所広島ブロック協議会、広島県地域婦人団体連絡協議会、広島市地域婦人団体連絡協議会、全日本労働総同盟広島地方同盟、広島県遺族会、広島県農業協同組合中央会、広島県漁業協同組合連合会、広島県青年連合会の9団体が発起人となって準備を進め、41の構成団体の参加を得て、1982年(昭和57年)12月2日、結成大会が開催されました。

この大会において、これまでそれぞれの立場で行ってきた北方領土返還要求運動を更に強力なものとし、より幅広い県民の理解と認識が深められるよう県民会議の下に結集し、この運動を力強く進めていくことが宣言されました。

(3) 北方領土返還要求運動都道府県民会議

1.名称
北方領土返還要求運動広島県民会議
2.設立年月日
昭和57年12月2日